パーソナルスタイリストのMASAです
夏、きてますね
皆様いかがお過ごしでしょうか?
夏バテしてませんか?
ASUNAROではお陰様で忙しくさせていただいてるため、火曜日以外、月に二日お休みをいただくことになりました
大抵月曜か水曜で連休となってます
休んだ分営業日は全開で働きますのでよろしくお願いします
さて今回、僕が美容師人生を歩み始めようとなったきっかけをお話ししたいと思います
完全なる私ごとのブログになるので興味がある方だけ読んでみてください笑
ではさっそく
さかのぼること中学生・・・
静岡県の田舎町で生まれました
幼少期はサッカーに明け暮れる毎日で容姿のことなど二の次といった感じ
そのまますくすくと育ち中学生に
中学3年生の時、僕が美容師を目指す1つ目のターニングポイントを迎えます
それがD君との出会い
D君とは3年生になってから帰り道が同じだったこともあり一気に仲良くなりました
ある日そんなD君と同盟を結びます
「モテたい同盟」
思春期真っ只中だった僕たちはとにかくもてたかった、みたい
単純な考えからスタートしたこの同盟
そして、モテる=髪型を変える
髪型を意識し始めたのです
15歳の夏、父親が通う近所の床屋へ問答無用で連れて行かれていた僕は、「美容室」という初めての扉をノックします
こうして美容室へ行こうと決意しました
しかしここで問題なのがカット料金
中学生といえど床屋よりカット料金が高いのは目に見えてます
無論、お小遣いでやりくりしていた僕たちにとって美容室にいけるお金はありません
手段としては親に頼み込むくらいな訳で
当時から世渡り上手が売りだった僕は週に1回のお皿拭き係の回数を増やし、お小遣いに加え報酬をもらえるよう母親に頼み込みます
プレゼンは見事通り美容室へ行っても良い許可を勝ち取りました
一方、D君はD君なりにカット代を確保し、準備は万全
いざ美容室へ
美容室選びは至ってシンプル
小さな町なので美容室の数もそこまで多くなかったため順に制覇しようと
最初は家から一番近いところから
その美容室は都内で長く働いていた美容師さんが地元へ帰ってきてオープンしたばかりのとこでした
母親たちの中ではにわかに話題にあがる美容室だった
そんな親達より先にちんちくりん中学生が先陣切って行くという・・・なんとも笑
時間は無駄にあったため事前にヘアカタログを読み漁り
すでにやりたい髪型は決まってます
美容室に入ると全てが初めてで緊張からか無口になる僕とD君
あんなに予習してきたのにカウンセリングではなった一言が
「すいてください!」
一言のみ
もっと伝えたいことあったのに
やりたい髪型さえ伝えられなかった
どうした15歳の自分!?
そして困惑した美容師さんが
「すくって言ってもいろんなすき方があるから・・」(ちょいキレ気味)
・・・
チーン、、、オワタ
こうして人生初めての美容室は苦い思い出に終わった
高校生のためのコンディショニング/大塚製薬
あれから中学生のうちに10サロンほど巡りました
最初はやりきれない結果が多かったものの
最後の方ではスタイリングをセルフでやらせてもらうというなんとも小生意気な行動にまで
今考えるとよくやったな
さあ高校に入ると美容師への憧れがさらに増してきます
まず自分の髪を自分で切るようになります
美容室では満足できなかったのか、細かなこだわりがあったのか今ではなぜそうなったのかわかりません
三面鏡を駆使して切るはいいが洗面台を散らかし母親に怒られる
高校2年生になると2回目のターニングポイントを迎えます
セルフカットをしていたことを友達に伝えると
「俺も切ってよ」
「俺も!」
「俺も!俺も!俺も〜」
高校生にして人気美容師の座を手に入れます
こうして友達のカットを始めるようになりました
当時サッカー部に所属していた僕は部室を美容室代わりに
パイプ椅子を待合代わりにして「サロン植村」を始めます
時にはスーパーでパーマ用薬液を買ってきてパーマをかけることもありました
カットの理論や手順は完全に独学・・というか感覚?でした
いきなりすきバサミでスタートしてましたからね
それでも満足してくれる友達、授業中ふと見える僕がカットした後ろ姿なんかを見てふつふつと嬉しさが込み上げてきたのです
この時、進路が決まりました
「おれ、美容師になる」
こうして今に至ります
思い返してみると「モテたい」からスタートしてました
夢を見る動機なんてそんなもんですよね
肝心なことはそれから
あ、ちなみにD君はバンドマンの道へ進みました
「モテたい」しっかり貫いてますね
最後まで読んでいただきありがとうございました
ではではまた